僕は「将来の不安を克服するため」営業を始めました。
中校生の頃からコミュニケーションに不安を抱えるも、大学では文系学科に入ってしまった僕。
大学でも「コミュ障だし、クビになったらどうしよう…」「大学で頑張っても社会で通用するわけじゃないし…」とモヤモヤした日々を過ごしていました。
で、色々あって大学をやめ、また不安になるわけです。
そんな時「学生の頃は絶対やりたくないと思った営業」にあえて飛び込み、自分を変える決断をしたわけです。
ここから全5回に分けて僕の営業談話をお届けします。
「誰でも正しく考えて行動すれば、結果を出すことができる」ということが伝わるプロフィールように書いていきますね。
流れとしては以下のとおりです。
【第1話】体力テストEから始まった運動できない×コミュ障的子ども時代<今ココ!>
【第2話】将来不安すぎて大学2年休学&留学。カリフォルニア農家⇨東京ベンチャーでの日々
【第3話】営業デビュー!契約が取れない不安から脱出した言葉とは?
【第4話】営業始めて半年で売上0から月700万まで成績が上がった理由とは?
【最終話】営業で広がった人生の選択肢と、今後の目標
なぜ、大学中退・不安だらけの僕が営業ではうまく行ったのか?
そのヒントが全5話のプロフィールの中に隠されていますので、ぜひ楽しみながら読んでくださいね。
子ども時代のコンプレックスいろいろ
と、いうことで営業を始める前、さらには営業でうまく行き出すまで、僕はコンプレックスや悩みを多く抱えていました。
まあ若者によくある悩みですが、僕はいろいろとこじらせてしまいました。。。
①<〜中学生>運動ができない
僕はもともと、運動がすごく苦手でした。男子で運動ができないのって致命的ですよね。
「体力テスト」って覚えてますか?
小学校では、クラスで1番背が小さくて、ぽっちゃりだった僕。
僕はそのテストで【E】を取ったこともあります。鬼ごっことか、僕が鬼になったら終了でしたからね。
中学時代はどこの部活も恐ろしく、先輩が優しいという理由で陸上部を選択。そしてこれは過ちでした。
鬼のような、いや実際鬼の先生に整体通いになるまで走り込む日々。
そこに追いうちをかけるように、カルシウム摂取量・睡眠時間からは想像もできない「身長の伸び悩み」。なぜか増える体重。
中3の時、1年の女子より足遅かったです。笑
まあそんなこんなで運動ができず、自信のない子ども時代でした。
②<高校生〜>コミュ力がない
僕がワラにもすがる想いでがんばったのは勉強です。
喋る虎や、赤いランドセルの生き物の教材(ベ◯ッセ)のおかげか、僕の学力は平均よりよかったんです。
なので高校は地元の進学校に行くことができました。
が、そこで別の壁が現れます。コミュ力ってやつです。
「他人どう思われてるかこわい」というのが強かったんですね。運動ができず、勉強しかない僕は、ちょっと物を考えすぎる少年に育ってしまっていたのです。笑
しゃべる前に相手のリアクションを考えては話せなくなる。
夜、カエルの鳴き声を聴きながら、布団の中で「ああ…あそこでこう喋っていれば」とひとりコミュニケーション改善会議を開催したことをいまだに覚えています。
特に女子相手はきつかったですね。高校3年間で共学なのにまともに話した記憶が30分くらいしかない。
まあ自分に自信がなかったわけです。
そこでどうしたか?
さらに僕は勉強にはげみました…。笑
③<大学生>なんか周りになじめない、将来不安
そんなこんなで、努力の結果、大学も現役で国立大学に入れました。
「遠くてのどかな所が良いなあ」と北海道大学に入学します。
コミュ力はなんの改善もされませんでしたが、大学入試は偏差値が正義です。僕はある意味良い時代に生まれましたね。
「進学校⇨国立大学」。ぱっと見、順調な人生です。父母、祖父母も「一族の誇りだ」的なくらいほめてくれました。
が、人生そんな甘くないというか、悩みは尽きないわけです。
僕は将来がすごい、すごい不安でした。
まず周りの人と話が合わないんですよ。
- あの映画見た??←タイトル知ってるだけ
- お前好きな子いるの??←どうせ叶わない
- Twitterやってる??←他人に興味ない
うーん、根暗ですね。。。
今でも鮮明に覚えているのですが、僕は大学のサークル勧誘(新歓)で衝撃を受けました。
ふんどしをつけて踊る、界隈では有名なクレイジーよさこいサークルがあります。そこに友達に連れられて体験に行ったのですが、そこは僕にとって生き地獄でした。
「大学生は人生の夏休みじゃぁぁぁ!!!」と叫ぶ先輩。
「うおおおおお!」と踊る新入生。
僕は泣きたくなりました。ついていけねぇ。端っこに移動するも人の波に押しつぶされそうになります。こんな経験がしたくて勉強したんじゃないのに。
そのサークルの活動は素晴らしいですし、実際メンバーは魅力的な人が多いです。ただ僕とは人種が違いましたね。帰りの道で実際に泣きました。「俺、大学生ムリだわ」
その後、結局バドミントンサークルにがんばって入ってたのですが、トイレで飲み会の時間潰すという現実があったわけですね。
やっぱ話ができないので「将来これが続くと会社で孤立するよな???」と思うようになりました。
しかも、周りの同級生はスゴイやつばっかりに見えるんです。
困ったもんだと。
「就活できるのかな」
「クビになったらどうしよう」
「一生独身なんじゃないか」
今思えば、なんてことはない悩みですけどね。笑
ただ当時は深刻でした。
気の合う友人もいて、麻雀とかはやりましたが、いわゆるオタク仲間みたいなもんで傷の舐め合いでしたね。
日本からの逃亡。アメリカ留学
大学2年が終わったころ。
僕は思い切って学校を休学し、アメリカに留学することにしました。
理由は以下の通り。
- このまま就職できる気がしない
- まだ働きたくない
- 人生をこの辺で変えたい
よくある甘い、あまーい大学生ですね。笑
ザ・モラトリアム野郎です。
ただ間違いなくこの決断が僕の人生の分岐点でした。
そうじゃなかったら今頃、良くて転職先を探す生活、悪くて実家で引きこもりだったと思います。
ということで今回はここまで。
第2話は休学〜大学中退までの話です。
次回の予告をすると…
- カリフォルニア農家でメキシコ人70人に囲まれどうやって生き延びたか?
- 東京ベンチャー企業で東大卒N村証券のバリキャリウーマンに詰められる
- 不安がぶり返す!スーパーと自室の往復、酒浸りの4ヶ月
などなどです。人生で一番クレイジーな2年間だったので、ぜひどうぞ。
【第2話】将来不安すぎて大学2年休学&留学。カリフォルニア農家⇨東京ベンチャーでの日々
あとがき
どうでもいい話ですが、僕は16歳の時「俺は結婚できないだろう」と謎の悟りを得ました。
運動ができず、コミュ力のない自分が…と悩んでいたのを覚えています。
その一方で「成人式とか、将来は経済的に成功して見返してやる」と思っていたのも事実です。
そのために勉強したのですが、結局僕は大学で「成績じゃあ食っていけない。コミュ力やスキルのない人は将来終わってる」との結論に達しました。
ここから僕の絶望が始まり、4年間の迷走期間に入るのですね…。
ちなみに今の僕は「勉強ができる”考え方”を持っていれば、仕事はできる」との結論になっています。「コミュ力も勉強で鍛えられる」のが持論です。
そのための記事を色々と書いているので、先に見てみたい方はそちらをどうぞ。
考え方:営業で結果を出せるビジネスマインドを手に入れる方法とは?最適な学習法を紹介
コミュ力の上げ方:営業のコミュニケーションを5STEPで改善!未経験から月間700万円売るまでの方法を全公開!
第2話ではその「迷走」がピークだった時の話です。わりと他の人は通ってない休学2年間ルートなので、読んでみてくださいね。
【第1話】体力テストEから始まった運動できない×コミュ障的子ども時代
【第2話】将来不安すぎて大学2年休学&留学。カリフォルニア農家⇨東京ベンチャーでの日々<次はココ!>
【第3話】営業デビュー!契約が取れない不安から脱出した言葉とは?
【第4話】営業始めて半年で売上0から月700万まで成績が上がった理由とは?
【最終話】営業で広がった人生の選択肢と、今後の目標
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